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仏教は、今から2500年ほど前にインドでお釈迦さまが
悟りを開かれ仏陀となられたことを出発点としています。
ですから仏教とは、その「仏陀の教え」ということにな
ります。またその教えは、修行によって人間の苦しみを
解決する教えでもあります。
その意味では、仏教とは「仏陀になるための教え」でも
あります。
インドで生まれた仏教は、やがて、中央アジアを通っ
て、中国、モンゴルなどに伝わり(北伝仏教)、その後、
朝鮮半島を経由して6世紀頃日本に伝来しました。
またインドからセイロン(現スリランカ)に伝わった仏教
は、11世紀にはビルマ(現ミヤンマー)やタイへ伝わるよ
うになります(南伝仏教)。
このように仏教は世界各地へ広がりますが、弘法大師
(こうぼうだいし)・空海(くうかい)によって開かれ
た真言宗は、仏教の中でも特に密教であるといわれます。
密教とは「仏さまの秘密の教えを明らかにした教え」と
いう意味ですが、この教えはお釈迦さま在世時代のイン
ドにすでに存在し、それが7世紀ごろに段々と体系化され、
8世紀には中国やチベットに伝わったといわれます。
そしてこの教えが弘法大師により日本に伝えられ、真言
宗となるのです。
弘法大師が入定(にゅうじょう)されてから約300年後、高
野山の 宗風が活力を失いつつある時、その状況を憂い、
弘法大師の教えを再興するために様々な改革をしたのが、
興教大師覚鑁上人(こうぎょうだいしかくばんしょうにん)
(1095-1143)です。
興教大師は嘉保(かほう)2年(1095)6月17日、現在の
佐賀県鹿島市に生まれました。16歳で得度(お坊さんにな
ること)した興教大師は、やがて高野山に上り、大治(だ
いじ)5年(1126)、弘法大師の教えを学び、議論する学
問所、伝法院(でんぼういん)を創建されました。
こうして高野山は、多くの学匠の輩出とともに、昔の活気
を取り戻していきます。しかし、長承(ちょうしょう)3年
(1134)、興教大師が高野山金剛峯寺の座主になると、
このような興教大師の改革を良く思わない一部の僧侶の激
しい反対にあい騒動が起こるようになります。
やがてこの争いは大きくなり、ついに興教大師は座主を降
り、保延(ほうえん)6年(1140)、かつて寄進を受けた地、
根来山(和歌山県)に移られてしまいます。
その後、根来山の整備をすすめますが、根来に移ったそ
の3年後、康治(こうじ)2年(1143)12月12日、49歳で
入滅されたのでした。
興教大師覚鑁上人は、弘法大師の教えを再興するとともに、
学徒を養成し、後に「新義」といわれる真言宗の教学を確立
しました。このため、真言宗中興の祖とお呼びします。
真言宗弘尊会の勤行で、宗祖・弘法大師と中興の祖・興教大
師の両祖大師の御尊像をお祀りし、
「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」、
「南無興教大師(なむこうぎょうだいし)」と
お唱えするのはそのためです。
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